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2007年06月02日
両親という夫婦
久しぶりに美しい夕やけ
この一月といえば。両親の半介護状態で、自分の遊びはちょっとお預けだった。
非常にプライベートなことなので、書く気がひけるのだが。母の骨折がきっかけで、両親が四六時中顔を見合す空間に居る生活というのは、とてもたいへんなことだった。私は、同居ではないが、近くにいる。
よく考えると、私が外出に車を出さないと、両親は駅までの外出さえ無理だ。そして、普段は一人で買い物にも老人会にもいろいろ社交的に過ごしていた母が、家から一歩もでることができなくなったこの一月。母にとってのストレスの原因は父その人そのものだった。
ちょうどこの間、朝日新聞でも夫が妻を介護する場合の問題点が載っていたっけ。
夫は、スケジュールどおりにすることを要求するけれど、体調が良かったり、悪かったりする妻に対する配慮ができないことが多いとか。
父は昔は、大正生まれにしては、家事をまめに手伝っていた。炊事、掃除そいういうことを。
ところが腰が悪くなってから、特に最近はやれなくなった。できないということはプライドを傷つけるのだろう。それが、母に対するいやみな言葉となってしまうらしく「一月もたつのに直らないのか」などといわれても、自分も不自由なくせに人のことは配慮できないなんて・・・と思う。母は顔をあわせると愚痴をこぼすようになった。
年配の夫婦は、昔からの力関係から抜け出せなくて、歩み寄り支えあうということが苦手なのか。
私にとって、この間の介護にまつわる具体的な拘束時間はなんとも思わないのだが、母の感情の沈むところを見るのが辛かった。自分ができない情けなさに自分を追い込んでるなと・・・思うこともあったし。
パートナーって何だろう?人生の横を歩く人は、私はいつまでも他人だと思っている。
だからこそ、気をつけて心を掛けていかないと、見失うことがあるのではないか?と思う。たまたま一緒に住んでいるけれど、一緒に子供を育てているけれど、自分のものでもないし、その人は他人以外のなにものでもない。自分の思考プロセスと違う生き方をする人だ。それを、不思議に思ったり、面白がったりできる幸せが、他人と暮らすよさなのにね。
両親は、古い夫婦感に自分を押し込んで生きている。自由になってよ。
投稿者 pianocraft : 2007年06月02日 22:59
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コメント
お疲れ様です。介護は他人事ではありません。大変ですね。わたしの実の両親と,夫の両親,どちらもまだ動けるのですが,父は大正生まれ。いつ動けなくなるのかと,遠くでヒヤヒヤしています。介護休暇制度があっても,それにも限界があるし,兄弟との距離感も難しいです。助け合える地域や隣人がなくなっているし,考えると恐い感じさえします。ご一緒にお暮らしだと,その難しさも大きいでしょう。あまり背負いすぎないよう休みをとってくださいね。落合恵子さんの介護の話はわたしの参考になっています。
投稿者 KATEK : 2007年06月03日 19:00
KATEKさん、ありがとうございます。
ピアノレッスンも楽しそうで何よりです。母は、徐々に外に出て行くように、一緒に歩いて出たりしています。外にでると狭い町内で、長年の知り合いのお年寄りがうんといるので、声を掛けてもらい、みんなに励ましてもらっていました。
介護なんていうシロモノではありませんよ。私の生活は。
いつも、ホントに好き勝手に生きてますから、私は元気です。
投稿者 pianocraft : 2007年06月04日 21:34