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2006年06月20日

歌を失う

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今日は、ご近所の大衆中華料理店「珉珉」で、やはり近所の串カツ屋さんでもありテナーサックス奏者でもある方のJAZZ LIVEがあった。身近に音楽があり、いつも顔を合わせる街の人が、同じ街でパフォーマーになったり、お客さんになったりするのはいいことだと思う。

と、こうしてお客になっていると、心が騒いでくる。

私は、街の人間は、いつ自分の歌をうしなったのだろうとよく考える。お店で、カラオケで歌う歌ではなく、たとえば日本でも民謡をよく唄う地域の人たちが持っている、人が寄り合い、歌う唄。
自分にはもとから、ないという感じもしている。気がついたら、流行の歌や、レッスンのピアノの音がまわりにあった。ヨーロッパ産のクラッシック練習曲を自分も弾くことになったりすると、より、根っこの音楽がわからなくなる。決して好きでなかった練習曲。

その後は、ロックを好きになった。

だけど「ルーツミュージック」ということばに、いつからか惹きつけられる。
次には、アメリカ黒人のブルースを聞き、弾きはじめる。
ピアノは、器楽演奏のためというより、わたしにとっては伴奏楽器としてのほうが自分には合っている。
というのは、歌い弾きをしたいからなのだけどね。

うんと時間がたって、アメリカ黒人にとってのルーツミュージックとなる「ゴスペル」と出会い、イエスキリストのためにのみ歌い、聖書の言葉を歌うという音楽というより、祈りの時間をすごす。
そして今がある。
けれどここにきて、歌を取り戻したいと強く思うようになった。

「ナミイ」とであってから。
「歌は講釈するもんではない」
これは、歌の中身などについてあれこれ理由を考えたりすることをいなしてる。
「歌は隠すもんではない」これは、歌を歌えるのに歌わない人にむけて言われたことば。
ナミイは、歌を生きている。
年端もいかないころから仕込まれた三線で生きてきた。死にたいと思うことも積み重ねて。

私も自分の歌をとりもどそう。と考え始めた。
歌は聴くもんではないのだ。聞いて癒されることもあるだろけど、自分がやったほうがおもしろいって。
急遽、私はゴスペルから卒業することに決めた。別に入学したわけでも入信したわけでもなかったけど、この日本にあった唄を忘れていたから。
これから取り戻しにいこう。ぼちぼちね。

投稿者 pianocraft : 2006年06月20日 23:53

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コメント

こんにちは。
先日「ナミイと歌えば」を観に行きました。
とっても期待していたのです!映画にというより、自分の心がどう動くかと。(pianocraftさんの感想にとても影響されていました)
ところが・・・大きな振幅はありませんでした。
自分の心は、音楽に対する共鳴体が随分小さいのだ・・・としばらく落ち込んだくらい(笑)。

もう自分は自分と、思えるようになりました。
このエントリーのようなことを読むと、自分のことではないけど何か元気が出てくるし、うれしいです。
生きるにあたって「核」のようなものがあることはいいですね。私もうらやましがることはせずに、自分の「核」をしっかり形成していこうと思います。

投稿者 hana : 2006年06月21日 13:22

こんばんは。日本の歌の原点って何でしょう。わたしは(夫に言わせると)太鼓と笛の音がすると,そわそわし始めるようです。ことばをもった歌には,自分のものといった感じをなかなか感じられないのが残念です。労働歌ももたないし。アイヌや「インディアン」の人たちのように伝承音楽があるってすごいなと思います。知恵が音楽になって受け継がれていくのですものね。わたしは何かを失ったままのようです。

投稿者 KATEK : 2006年06月21日 23:34

hanaさん、コメントありがとうございます。映画のどこに反応するかは、やはり人によってスイッチが違うから違って当然ですよね。映画期待させて、ごめんなさいね。
ナミイとの出会いは、私にとっては、とてもタイミングよくや
ってきた出来事のように思えます。

何かを探してるときにぴったりきてしまうというような。
沖縄の歌は前も歌ってたし、19の春は大好きです。けど、このように自分に迫る思いを与えたのは意外なことです。
これから、どうなるか~と楽しみにすることにします。
音楽の感性とは別物ですよ、心のスイッチのありかが違っただけで。落ち込まないでね。hanaさん。

投稿者 pianocraft : 2006年06月22日 00:26

Katekさん、こんばんは。
日本の歌の原点というのにとどまらず、太鼓は人間の原点だと思います。太鼓は血が騒ぎますね。

そして、唄は、聞くのと唄うのではうんと違うのですよ。
自分の唄が何であるかは、これからの楽しみですが、歌詞を歌うとき、そこにこめる思いは、歌い手が握ってますからね。
それを自分の側に引き寄せて聞くのが、聞き手の共感であったりね。同じひとつの歌がいろいろに捉えられる。

そこにコールアンドレスポンスがあったりして語りあいが生まれたりね。人にまみれて唄は変容する。おもしろいなと思います。

投稿者 pianocraft : 2006年06月22日 00:44

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