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2006年05月11日

サヨクとかウヨクとか

今日の新聞で、小熊英二さんがインタビューに応じていた。著書に「<民主>と<愛国>」という大作や最近では、「日本という国」という中学生向けの本も書いている。

このインタビューのタイトルは、「ナショナリズムの今」。
ナショナリズムは、いつの時代でもあった。内容が変容してきただけ。好景気の時は、「日本人が優れている」「日本的経営はすぐれている」式のナショナリズムが、90年代は、経済が停滞したために歴史問題や靖国問題を焦点にしたナショナリズムが生まれたという。それは「表現形態が変わっただけ」と。

今は中間共同体が壊れ、個人がばらばらに存在するために、孤立と不安が生じ、よりどころをもとめて大衆社会型のナショナリズムが成立するという説明。それは、むしろ「群れ」ているポピュリズムと呼ぶにふさわしい。従って、右派や保守派には「思想的な核」がなく、「アンチ左派、アンチサヨク」という一点で結びついていると述べている。

このような分析をおもしろいと思う。おおよそ、平和主義と自称する人々のどれだけが「サヨク」と思っているだろう。私もそうとは思っていない。右・左どっちでもない。例えば「憲法9条」が素晴らしいから、変えたくないと思っていても、それは、その言葉どおりである。
アンチ巨人、アンチなんとか・・・これが嫌いな人集まれというのが、よりどころの群れっていうのは、なんてつまらなさそうな・・と思う。

けれどそう言う団体が、世間の「なんとなく軍隊賛成」「なんとなく東アジア脅威」というムードに後押しされて、本当に政治を動かす時。それは、恐怖でしかない。
どこかいごこちのよい、全体主義に寄りかからないで欲しい。せっかく個人でものを発信し、情報を獲得し、ネットワークを持つことができる力を得たのだから。
そういえば、教育基本法の政府改正案の「愛国心」も問題になっている。そういうものを規定しようということそのものが、理解できないけれど。
個人を本当に大切に思わない人間は、他人のことも想像がつかない。さらに関心を持たない、知らないでもいいと、関わらなくてもいいじゃないかという人も、結局自分が享受している自由を失う事になるだろう。

最近、実に自分が愛国的であると思う。国の政治を考え、平和を願うことはこの国、このエリアを大切に考えているからこそだ。そういう事を愛国というんじゃなかったっけ?
でもね。「愛国」という言葉は、いまやある種のイメージしかもてなくて、嫌いだな。自分の生きているエリアがすみやすい、生き易いところであるように、願い、考えること。でしょうか。特別なことでない。

投稿者 pianocraft : 2006年05月11日 22:40

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