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2006年01月29日

ルート181

181.jpgルート181

4時間30分にも及ぶロードムービーである「ルート181」休憩をはさみながら、南部編・中部編・北部編の3部を見た。

パレスチナ人の監督とイスラエル人の監督が一緒に1947年にパレスチナに引かれた国連決議181号の架空の道を旅しながら、そこで出会う人々にインタビューしつづける映画だった。字幕を追う映画でもあり、普通に暮らす人から発せられる言葉が、それぞれに重く、埋めようのない溝を語る。

イスラエルとパレスチナの分断をそう簡単に語ることは出来ない。大体わたしの知っている、わたしが見たことのある映像はいつも自爆テロであり、パレスチナ人の家を壊すシーンであり、戦車であり、最近ではガザ地区からのイスラエル入植者の立ち退き映像であった。それが、存在しない道をたどりながら、かつてあったパレスチナの村を尋ねていくと、そこには今生活する人がいる。

2人の監督は、少しずつ話かけ始め、出会う人の古い記憶を白日にさらしていく。
イスラエル人とパレスチナ人の絶望的に埋めようのない溝をその言葉から感じるが、本当は彼ら自身も疲弊していて、モロッコから入植したユダヤ人の女性は、「イスラエルは素晴らしい国で、すべてそろっているけれど、生の喜びを感じないの」と語る。彼女は息子を20歳でレバノンの戦争で失っている。

ユダヤの人々が迫害されたのは、ナチスドイツに始ったわけでなく、未だに差別されるという状況にある。
国を追われたユダヤ人は、イスラエルの地では国を分断し願わくばすべてのパレスチナ人を追い出したいと思っている。
映画のインタビューで、2回引用された言葉がある。

旧約聖書の列王記上 3章16節~28節 ソロモン王の知恵
<ソロモン王は、富や名誉ではなく、民を正しく裁くための知恵を神に求
め、神から与えられた英知で、王として国を治め、民を裁きました。ソロ
モンの知恵は、イスラエル国民はじめ、世界の尊敬を集め、神の祝福に
よって国は繁栄しました。

ある日、二人の女がやってきて、ソロモンに裁きを求めました。同じ家に
住む二人の女は三日違いで子供を産みましたが、一人の女は寝ている赤ん
坊に寄りかかり自分の子供を死なせてしまい、夜中のうちにもう一人の女
の子供と入れ替えてしまいました。

「生きているのが私の子で、死んだのはあなたの子だ」と一人が言えば、
もう一人は、「いいえ、死んだのはあなたの子で、生きているのが私の子
だ」と言い、二人の言う言葉によっては、永遠に真相は分かりません。

ソロモン王は、剣を持って来るよう命じ、生きている子を二つに裂いて、
二人に公平に分け与えよ、と命じました。子供の母は子を哀れに思い、殺
さずにもう一人の女に与えて下さい、と言い、母でない女は、二つに裂く
ことに賛成しました。

ソロモンは、二人の心を見ることによって、本当の母を見抜き、子供を無
事に母に返しました。この神の知恵による裁きにイスラエル国民は、王を
畏れ敬うようになりました。>

この言葉は、2回ともイスラエル人に向けて投げられる。
「ソロモン王の母親の話を知っているか?」
本当の母は、子どもを引き裂く事はできなかった。これを聞いて「引っ掛けたな」と言った人。もう一人は、それが自分の立っている土地の上で行われている事と何の関連も見出せない人だった。偽の母親がイスラエル人というわけか。

でもふと考える、もしホロコーストがなかったら、ユダヤ人はどうしただろう?別々の色んな土地で、アラブ
人や、ロシア人、ドイツ人たちと一緒に隣り合って暮らしていけたろうか?
この国を分けるボーダーに置かれている有刺鉄線の工場が映っていた。ナイフのようにするどい有刺鉄線、よその国では使用がみとめられない危険なもの。そんなものが、道を分け隔てている。
この国のことをも少し、勉強してみたい。

この映画の時間をhanaさんと過ごせた事を光栄に思います。

投稿者 pianocraft : 2006年01月29日 23:41

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◆広河隆一よりご挨拶◆私が1967年にはじめてイスラエルに行き、パレスチナ問題に出会ってから2007年でちょうど40年になります。  [続きを読む]

トラックバック時刻: 2007年01月15日 18:05

コメント

お久しぶりです。実は昨日pianocraftさんのサイトにおじゃまし、すぐコメントを書こうと思ったのですが、もう一度じっくり考えてみようと思い、今日になってしまいました。
人間の抱えている、とてつもなく複雑な側面を感じます。
今私たちが真っ先に考えなければいけないことは沢山あると思うのですが、私はその一つとして自分の身のまわりにいる子供たちに、楽しいことばかりでなく、考えて立ち止まってしまうようなことを教えていくことが大切だと痛感しています。
その中の一つがやはり戦争だと思うんです。
ただ、それを安易にやることは逆効果になりそうです。
自分自身がまず自国の歴史と文化をきちんと勉強しなおさなければなりません。
学校などでは教えてもらえない歴史を考える上でのキッカケのようなものを手探りで考えていきたいです。
日本はずっと以前から日本だけでは成り立っていないわけですから、西欧の思考の枠を理解するためにもっと「聖書」を知ることは必須なのでしょうね。
pianocraftさんのこの記事、自分にとっての生きていくための「思索」に大きなヒントを与えてくれました。
話飛んでしまいますが、SMAPも見直しました。この前の記事も読んでおりますので。

投稿者 eirakusan : 2006年01月30日 08:22

こんにちは。ユダヤ人問題は本当に難しいですね。そもそも民族というものが難しいし。放浪するシンティ・ロマも差別の対象になってきました。定住というものに大きな価値を付け加えた文明というものが,何かのキーになるかもしれません。アジアの放牧で生きる人たちともまた違うところも興味があります。それにしても興味などと入っていられない切実な現実がありますね。pianocraftさんは,「突きつけてくる」映画をごらんになり続けて疲れてきませんか。私はなんだかこの頃疲れている感じです。でも,『白バラの祈り』は絶対見たいと思っていますが・・・hanaさんと一緒のホールでご覧になったというのも,なんだかうらやましいです。お仲間になりたいなぁ・・・

投稿者 KATEK : 2006年01月30日 17:44

eirakusanさん。こんにちは。
>考えて立ち止まってしまうようなことを教えていくことが大切だと痛感しています。
私なんか、多くの情報にまみれて、思考停止し立ち止まりすぎてんじゃないかと自分自身には思いますが、子どもの世界では、留まることの難しさが有るのかもしれません。
大上段にかまえて「戦争」とは、と教えるのでなくて、人と人がなぜお互いに受け入れがたいと感じるのか、そして同じ価値観を一つ囲みにしようとするのか?いろんな紛争の元になることを身近な人間関係から想像してみればいいように思います。何度も繰り返してね。
だって、子どもは「今」を生きてるのですよ。彼らの時をとめることはできないから。

投稿者 pianocraft : 2006年01月30日 21:20

KATEKさんのおっしゃるように、「民族」ということを考えると難しいです。ロマの人たちのことは少し知ってましたが、Wikipediaを引いてみると、知らない事も多く、持っている音楽など素晴らしいですね。けれど、その民族がいろんなところに住んでいるとなると「民族の独自性」というのは、どこに見出せるのかしら。少数で固まってコミューンを作っているからなのでしょうか?というより否応なく、まわりから差別という囲いをつくられてしまうのかもしれません。

いずれにしても、私自身は「今住んでいるエリア」としか国についても思っていません。自分の住んだ場所の文化的アイデンティティを身に付けているだけという感じ。

映画について、なぜこうも選んだ映画が戦争の臭いのするものばかりなの?って思うでしょうね。でも、結構わたしは疲れないのです。考えて立ち止まりすぎるかもしれませんが。
「白バラの祈り」大阪は3月18日から公開です。知りませんでした。見てみたいですね。教えていただいてありがとうとざいます。
ほとんど映画漬けですね。

投稿者 pianocraft : 2006年01月30日 21:34

pianocraftさん、私のコメントで気を悪くなさったようであれば誤ります。
あさはかな考えでした。

投稿者 eirakusan : 2006年01月30日 21:39

いえいえ。私の表現がおかしかったのかも・・・全然問題ないです。
かえって気になさったのなら、私のせいです。ごめんなさい。
子どもに伝えるってことが難しいと私は言いたかっただけなのです。

それから、聖書のことを書くのをわすれてました。
聖書の読み方って知ってます?私もゴスペルのリーダーから聞いたのですが、その日ぱっと開けたページの言葉を読んで考えてみるのだそうです。なるほどと思いました。そんな風に言葉に触れてもいいかもしれません。

投稿者 pianocraft : 2006年01月30日 22:28

pianocraftさん、こんばんは。
先日はありがとうございました。すかさず書かれたのですね。私の方はズルズルと延ばしています。考えることを後回しにしちゃってます。
何だかあれもこれも「もう手に負えん」と弱気になってるのかな。
今読んでる本が【終わらぬ「民族浄化」セルビア・モンテネグロ」なのもこたえています。
それでも、明日あたりはちょっと気を取り直して考えてみる事にします。

投稿者 hana : 2006年01月31日 00:08

「お気に入り」のお仲間に入れて下さったのですね。
今、気付きました。とってもうれしいです。
ありがとうございました。
私の方は今のところ、コンテンツとして入れてないのですが、近々全体のデザインと併せて見直していきたいと思っています。

投稿者 hana : 2006年01月31日 00:14

pianocraftさん、すぐに応答してくださりありがとうございます。私はPianocraftさんのメッセージをすべてポジに受け取っていますからこちらも大丈夫です。
安心しました。音声とか顔のないコミュニケーションは難しい側面がありますね。でもこれで逆に、細かいことはあまり「気にせず」、本当に思っていることをこのサイトで交換していけそうです。
聖書の読み方、ぜんぜん知りませんでした。なるほど生活の一部なんですね。やはり言葉が人を動かしていくんだなと思いました。
この間芭蕉の句のことを読んでいて、芭蕉は「国破れて山河あり....」と考えながらもその一面で最後には言葉が残るということを言っていたということを知り、日本人の別の一面も感じました。今の日本人は言葉をあまり大切にしていないですね。
私はとりあえずキリスト教に関係する大学にいたにもかかわらず何と聖書を一冊も持っていません。
こんな初歩的質問で申し訳ないのですが、日本で読むにはこれが定番というものはあるのですか。
読んでみようと思うんです。

投稿者 eirakusan : 2006年01月31日 08:09

hanaさんへ
映画を観て、「勢い余って書いてしまった。」というのが一つと色んな情報で映画のシーンの状況を正しく知ってから(今は解説書を読んで補いました。)は、より書きたいことの焦点がぶれていってしまいそうだったのと両方から、一気書きでした。まあ、しろうとなりの見方がでればいいかと・・・・

映画は、「民族浄化」の被害者があらたな「民族浄化」をして、正当化を計るインタビューの数々でしたが、この矛盾はとても深い。KATEKさんもおっしゃっていたこの「民族」というキーワードは手ごわいです。

それからhanaさんのリンクお断りもせず自分の都合で張っちゃいました。

投稿者 pianocraft : 2006年01月31日 14:27

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