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2005年03月09日
「生ましめんかな」
「生ましめんかな」の栗原貞子さんがなくなったという記事を読んだ。反戦にかけた92年の生涯について初めて知った。
「生ましめんかな」はコチラで読める。
原爆投下後の地下室で、あたらしい命が生れる。それを助けたのは、瀕死の産婆だった。命が丁寧にバトンタッチされていった。
一つ一つの生きる力を繋いで行く。織物のようにつむいでいく。そんな風に、命とははかなく、力強く、大切に取り扱われなくてはならないものだ。
反戦にかけた生涯は、強く・激しいものだったようだ。今、命がうすく引き伸ばされているような気がする。
大切にされずに戦場にもっていかれる。カウントされた、死体の山の一つになってしまう。そんなことを許しておくわけに行かないだろう。
抵抗することが、非暴力平和主義である。積極的な抵抗がない限り、おおきな思いに絡め取られてしまう。
広島には、3年前と子供時と2度おとづれた。
原爆記念資料館の情報は資料館のサイト http://www.pcf.city.hiroshima.jp/virtual/
原爆のことは、 A-Bomb WWW Museum のサイトに詳しい。
子供の時は、焼け爛れた子供のマネキンが怖かった。ただ、恐ろしいことがここにはあると思っただけだった。でも、3年ほど前、子供を連れて訪れたとき、学徒動員で子供と同じ年頃のこどもが大勢なくなっていることを知って、親として苦しい思いをした。子供のマネキンは、我が子と同じ年の子供のものだった。
今は命が薄くひきのばされているようにも感じる。それは、ロード オブ ザリングの物語でも指輪保持者で長生きをしたビルボが語る言葉でもある。
薄く長く引き延ばされる一方で、簡単に殺される命。国に殺されないようにするためには、大人が本気で平和を創る努力を惜しまないということだろうね。
投稿者 pianocraft : 2005年03月09日 00:21
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