2004年04月30日
Gospelコンサート
昨日の、島之内教会のゴスペルコンサートは、ひさびさ(というのはヘンなのだが)にすがすがしい歌いごこちだった。
わがHJPクアイアというのは、賛美奉仕を含めると、人様の前で歌う機会の多いグループだ。
代表の夏子さんがとても、エネルギーが高く、クリスチャンスピリットも熱いので、いろいろ声を掛けてもらう。
だが、そのときによってやはり色々ある。歌うほうも。
いろんなカラーのコンサートがある。カラーというのは抽象的な表現だが、気持ちの持っていきようがどこまで行くか?お客さんと、どんなスピリットを共鳴しあえるか?っていうのにかかっている。
本来は、イエスキリストに向かって賛美する。そこに向けてだけ歌う。けれど、人間がカラダを動かし、ハンドクラッピングして、こころも揺り動かしている様子は、一方通行ではなく、むこうからかえってくるものだ。
わたしの周辺の友人達も足を運んでくれるが、クリスチャンでない人ばかりだ。そのため、クリスチャンメッセージを非常に複雑に感じてしまう。端的にいうと「引く」のだ。歌詞の意味を知れば知るほど、そのストレートなイエスへのラブソングを、違和感をもって感じている。
歌うわたしたちは、それぞれ、神様とは、個人個人違う関係を持っていると思う。そして、歌うときは、楽しい。嬉しい。その理由が、歌のリズムとメロディーだけでないことも知っている。
昨日のコンサートは、その本質を感じるというか、初心に帰るような、楽しさのあるコンサートであったと私は感じた。
もうすこし歌っていけそうだ。歌う限りは、確信をもっていきたい。宗教とつきあうというのは、本気で向き合わないと、自分がしんどくなる。つきあうというのは、信仰ともまた違う。でも、非常にデリケートで深く、考慮をせまられ、しかもその時間あるいみ楽しみでもある。いつまでも宿題をとけないでいる、子供のようにネ。終わらせたくないのかもね。ホントは。
投稿者 pianocraft : 2004年04月30日 22:58
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