2004年04月05日
よんよんコンサート
昨日の日曜日は、日本ピアノ調律師協会の主催する「よんよんコンサート」をお手伝いした。
「よんよん」とは、4月4日のことで、この日はピアノ調律の日ということだ。
音大を卒業した、フレッシュな方々の演奏であった。いづみホールという、生音の素晴らしいホールで、なかなかのプロフェッショナルでないとここで演奏するという経験をすることはできない。
出演者と話す機会もあったのだが、緊張やいろんな思い。いろんなコンクールをくぐりぬけてきた、優秀な若き演奏家達である。こんなことを感じてるんだ~とあらためて知ることもあった。
ピアニストのある人は、2階席の人と妙に目があってしまって困惑した・・・らしい。ピアノを弾きながら案外見えてるんだよね。ある人は、一番前に座らないで欲しい・・・ともらしていた。一番前の人に限って寝るんだよね~って。勘弁して欲しい・・・らしい。
ほんと、案外客席を感じて演奏している。ピアニストというのは孤高であるが、やはり生のコンサートというのは、観客の息や視線や、目に見えぬ感動など、伝わるものがあるのだね。そして、それに対応して演奏がより、充実したり、良くなかったり、いろいろそのときの場が生み出す、再現不能の舞台芸術というのがそこには存在している。
一人で、ピアノに向い、闘いのように挑む姿は美しい。
クラッシックもいいところがある。クラッシックといっても現代曲もあり、楽しませてくれた。
音楽が好きで、ここまできた人たちである。並々ならぬ努力の上でたどりついたポイントだけれど、これからがまだまだ長い。
音楽を表現しつづける人に是非なっていただきたい。わたしたちは、いつもサポーターだ。
調律師というのはそういう存在。
投稿者 pianocraft : 2004年04月05日 22:38
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コメント
そうなのです。音楽とは表現手段の一つなのだ。音に乗せてメッセージを送ることができ、受け取ることが出来る。
その波動は、お客さんとの間にだけ流れるものではなく
当然、共演者との間にも伝わるんだよね。
「あっ、これや!」という瞬間を共有する喜びを知ってしまったら もう抜けられない。
バンドもライブも、しんどい面の方が多いけれど
止められまへんでした
管理人さんも一人でピアノ弾いていても楽しくないでしょ!
日記に表れている熱い思いをピアノでも表現してくださいませ
ミュージシャンでもあるんだからね
投稿者 カルミン : 2004年04月06日 00:43
音楽をする状態というのは、わたしには非日常なわけ。音楽そのものは日常であっても、演奏というのは特殊な状況と思うのね。でも、一流の演奏家というのは、常識的に一日中練習なわけだけら、息をすうように弾くことというのがあるのでは?と思う。テジョンが二胡を一日2~3時間練習する姿を知っていて、ええな。と思うけれど。練習パターンや生活の中で弾くことを日常化しないとだめだろうと思っている。
あらためて楽器と向かい合う難しさを感じているというか?表現をしていくためのプロセスに迷いがあるとか。そういう状況。なんでもかんでも弾くのでなく・・・ね。
精神的に引っ張られているのは、実はゴスペルの方なのだがね~ホントスピリットの問題
投稿者 管理人 : 2004年04月06日 14:24